頑張っている人に、          頑張ってと言ってしまったけど

言葉を選びながら

調子はどうだい、私はあまりよくない。

 

義理の兄が病にたおれました。

脳出血でした。

 

右半身がうまく動かないため、

もうすぐリハビリが始まり、

記憶にも影響があるかもしれない。

 

コロナの影響もあり少なくともこの先3か月は

面会できない。

そもそも倒れてから会えてない。

 

姉とのラインでそこまで聞けました。

それ以上あれこれ聞くのは遠慮しました。

 

数日後、急ぎ病気平癒のお守りを手に実家へ。

 

両親には長寿のお守り、都合を合わせて来た下の姉には

健康のお守りをそれぞれ渡しました。

 

不安、心配。

後遺症は残ってしまうのか。

残るとしたらどの程度か。

車いすを使うのか。

家の改装が必要になるのか。

自分のことを憶えてくれているだろうか。

 

今の姉の心にはネガティブなことがきっと

大半を占めていて、希望は捨ててはいないけど、

でもやっぱりどうなるかわからない。

よくないことも想定しておかないといけない。

心中を想像して、私はいたたまれない気持ちでした。

 

姉は時折ぽろぽろと近況を話す以外は

多くを語らずにいました。

4時間あまりの滞在時間はそうやって過ぎました。

 

特急の時間に合わせて駅まで車で送ってくれた姉。

めずらしく改札まで見送りに来てくれました。

 

こういう状況では大したことはしてあげられないと

無力感に包まれました。

 

姉はこの先思いつめて家にひとり、さみしく過ごすのか。

 

特急の出発時間にはまだ余裕がありましたが、

改札を通ることにしました。

姉の右肩をポン、じゃあねとはずませたその時

「頑張って」と言ってしまいました。

 

ある辛い境遇におかれた人が、

「頑張れって言うけどこれ以上どう頑張れっていうの」

というようなことを言っていたドキュメントか何かを

見た時に印象に残っていたのでした。

 

おそらくこのドキュメントを見て以降、

私はいろんな場面で多くの人に頑張って、と言ってはきたはず。

もちろん決して軽い気持ちで言ったのではなく、試験とか面接とか

失敗してもやり直しのきくような状況に対してだったと

思います。

 

ただ、近い身内が重い病気になったという状況では

ラインの時も実家で会った時も言葉を選ぶようになり

「頑張って」が他人事のような感じがして意識的に

避けていました。

 

改札で口から出た「頑張って」。

でもそれは本当に自然に頑張ってほしいと思って出た言葉でした。

落ち込むのも思いつめるのも仕方ない。

その時は思うがままに。

頑張り続けなくていい。

来るべき姉が義理の兄と再会したときに

元気で迎えられるようにしてほしいからです。

 

きっと姉は私が考えるほど悪くは受け止めてないか、と

考えることにしました。

 

世の中には多くの人がいて、そこにはその人の数の

何倍、何乗もの関係性があります。

その関係性の中で素直に自分の気持ちを

口にしたらいい、そう思いました。

 

少し肌寒い車内。

車窓からは秋の田園風景が遠ざかっていきます。

心の中で何度も祈りました。

頑張れ、頑張れ。

 

友人までもが

中学からの友人もまた病気が発覚しました。

悪性リンパ腫、血液のがんでした。

 

なにもこんな知らせが続くことないのに。

 

久々に飲みに行こうと誘ったラインの返信で知りました。

いつも行くスーパーの通路で立ち止まってしまいました。

夏の間、1度は長期入院して抗がん剤治療も継続中とのこと。

 

直接会って癌封じのお守りを渡したかったのですが、

髪の毛も抜けてきてるしといわれたのを、

素直に受け止めて郵送することにしました。

 

抗がん剤治療中は感染症に注意しなければならない、

もしものときは白血球がつくられなくなり

そのための治療もしなければならない、

そんなことも知らずに(調べもせずに)直接

会いたいと伝えてしまった私は私を恥じました。

 

抗がん剤治療は3週間に1度のペースで2泊3日の

入院治療とのこと。

 

入院している無菌室の写真。

血液検査の結果を知らせる数値の並んだ紙の写真。

ラインで送ってきていろいろ説明してくれます。

友人は現役の看護師。

 

「癌にはかかわってこなかったから素人」なんてとぼけて

言いますが、それなりの知識はあるでしょう。

そんな友人が病気とどうむきあっているのか

考えると私も苦しくなります。

 

直接会える日はくるのか。

今はそれが心配です。

 

一番つらいのは病気をしている本人です。

すぐ近くにいる人も同じようにつらい。

 

ふと私自身に意識が向きました。

 

必要以上に義理の兄、姉と友人のことを悲しく思い

それでいて病気もせずに仕事、職場の不満を語る私は

人に頑張ってを言う言わないとかどうでもいい基準をつくって

感傷に浸っているんじゃないか。

頑張れという相手は私自身でしょ、頑張ってないんだから、

と思うにいたりました。

 

頑張ってる人なんて星の数ほどいます。

圧倒的な努力を重ねている人なんて山ほどいるんです。

 

結局これを書きながら気づきました、ショボいな私。

こんな風に同じような感情をグルグル繰り返しているうちに

いい年になってしまいました。

 

どうか、みんなが病気に打ち勝って

また笑顔で再開できる日が来ることを祈り続け、

みんなに私ができることは惜しみなくしていくと

心に決めました。

 

その時は

みんなに頑張ったね、と言ってあげよう。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。